みなさんは、この”奴隷契約書”なるものの存在自体をご存知だろうか?
これはその名の如く、主と奴隷に交わされる契約書のことです。
つまりSM愛好者が、主と奴隷との主従関係を明確にさせるための契約・・・

今回のテーマはまた何ですか・・・と言われそうだが、今回は恋愛の一歩も二歩も先にある
SMの世界について書こうと思います。
最初に断わっておきますが、私自身はSM愛好者でもなければSM云々について語るだけの
何を持ち合わせてるわけでもないです。
これは私の見聞きしたもの、体験、主観の中で感じたことを書いていきますが、
私は敢えてSMは恋愛の先にあるものと言っておきたかったというのがあります。
たいがいはSMと言うと、そんな痛いことはゴメンだね・・・って声が聞こえてきそうですが、
そんな事は普通の初めての性体験での粗相やなんかと同程度の話なんです。

そもそもSMの世界は健全な世界に対するアンチテーゼとして成り立っているところにあると思います。
そしていちばん重要なことは、健全さというのは異常さを作り上げることによってはじめて健全さが得られるということ。
本当の健全さなどもともとはない。
痛みが快楽なのか、快楽が痛みなのか、健康的なセックスなどそもそも存在しない。
だからこの世界、甘い言葉は何ひとつ使えないのです。
彼氏、彼女ではなく主と奴隷・・・ギブアンドテークではなく支配と服従・・・
でもそこにあるのは、ある意味でストイックなまでの恋愛至上主義であると言えなくもない。
一日24時間365日、主に心も肉体も人権をも奉げてしまうこの関係は狂おしいほどに
実は恋愛に没頭しているのである。

先日も主と奴隷契約を果たした女性とたまたまお会いすることができ、いろいろ話を交わすうちに
余計にその思いを強くしたのでした。
彼女が言っていた印象的なフレーズに、”主だってここぞという時にはキスしてくれるのよ”・・・
この言葉がすべてを物語っているような気がした。
そして彼女は私の印象をこうも語ってくれた、”あなたは性癖云々ではなく信念が強い人ですね”
こう言われて妙に納得してしまったのですが(笑)
さて私は誰と何の契約を果たせばよいのだろうか?今すぐ答えを出せそうにない(苦笑)
というか出さなくてもいいんだけど・・・(汗)