コラム

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投稿者: miraikukan
この美しい句を詠んだのは高浜虚子。
凍蝶という言葉が日本の俳句では割とよく使われていることを最近になって
はじめて知りました。
凍蝶というのは冬にじっとしていて動かないまさに凍てついた蝶のことです。

先日「凍蝶図鑑」という性癖マイノリティの方々を追ったドキュメンタリー映画を
観ました。
いわゆる世間ではやや生きにくい人達を凍蝶に例えたわけです。
マイノリティという意味ではなにも性癖だけにとどまらない。
我々占い師も時に偏見の目にさらされる。 斜に構えられ軽く見られる。
こちらがよほど扱いを心得ていないと確実になめられます。
普通の女性でも「なんで結婚をみんなしたいというのかわからない」という人も
結構いますよ。 シングルマザーとかが生きにくい世の中。
前にも書きましたけど結婚するかしないかの二つの制度しかない日本は遅れていると。

やはり主流がどんと居座っていると可視化されにくいマイノリティの方々が
増えていく気がします。
ともかく中心から外れた所から立って見れば、普通って何だろうと考えさせられます。
でもその視点を持てるのは大きいと思います。
中心から外れた人達が改革できるのです。
中心から外れた人を見て肯定してあげることが改革の第一歩です。
ですから私も五行のバランスがいいからいいですよなんて喜んでいられない。
マイノリティを自認するならばね(笑)

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投稿者: miraikukan
五行推命学研究会名誉会長の安田靖氏が去る2014年12月18日に死去されました。

安田靖先生というのは私から見れば雲の上の人で結局生前一度もお会いすること
はありませんでした。
しかし安田先生のビデオ講座や録音テープなどから見聞きはしていたので、体調
不良は以前から伝えられていたものの、いざその時が来たらとてもショッキング
でした。

安田先生に対して私の書籍やテープ、ビデオ等からの数少ない安田体験からの
印象は、言葉が研ぎ澄まされている方だなと思いました。
それは決して難しい言葉を使うということではなくて例えば安田先生から
言わせればこうなります。
「五行が安定していると転んでもただでは起きない」とか、
「傷官はもう勝手にしやがれという形になる」などです。
特にこの傷官の説明なんかはお見事で、傷官はどうしても無責任な感情が付き
まといます。同じカチンときやすい偏官に比べるととても無責任。
それを「勝手にしやがれ」の一言で言い表す。これが安田先生なのです。
それは四柱推命そのものも同様にシンプルに再構築しました。

安田靖氏を安田先生流の言い回しで例えると何になるのかを考えてみて、
「的確」この二文字が頭に浮かびました。
運命を的確に論じる、安田先生から教わったこの精神を我々も的確に継承して
いきたいと、そう思っております。

安田靖氏のご冥福を心よりお祈り致します。

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投稿者: miraikukan
皆様、新年を迎えられいかがお過ごしでしょうか。
やはりこの時期は年末年始を挟んだこの二か月というのは、ご相談件数も
多いものです。
思うに皆様の求めるもの、つまり占いに来るわけですから目に見えない何らかの
力が自分の運命に関わっている。。。それを確かめたいとうのは当然あると思います
が、それと同時に理論理屈においても自分を納得させたいと思っていることも強く
感じるところです。
このあたり我々占い師たるもの、そこをどう表現されるべきかというのを考えてみた
のです。

芥川龍之介の言葉に「性格が人の運命をつくる」という名言があります。
これは私も一つの結果を誘発させてしまう最大の原因が性格であろうと思います。
実に理にかなってます。
そこで我々の立場からすると何が言えるのか?
その性格は運命から作られているということです。
その性格及び性質は運命によって最初に決定づけられていると。。。
するとここで誤解が生じます。ならば運命によって性格が決まるなら最初から
そもそも運命が決まっているのと同じことじゃないのかとなります。

いいえ、もう少し具体的に表現すれば運命は自動的である、その運命により作られた
性格は手動的であると。。。
こう捉えた時に人は自動で自分の人生を送っているのではありません。
手動で動かしているわけです。でも与えられているものは自動です。
この自動と手動をうまく説明できてこそまともな占い師と言えると思うのですが(汗)

今年もああだこうだと言いながら頑張っていきたいと思っております。
2015年度も皆様よろしくお願い致します。

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投稿者: miraikukan
私はこの一年間、推命用語で言うところの偏財沐浴という札に支配されていました。
この偏財沐浴という札の解釈は多少難しく、もう一つの大きな運気の流れである
大運の良し悪しでだいぶ変わってしまいます。
偏財とは流動する財・愛情・父・安定する等の意味があり、そこへ荒れる沐浴が
入り込むので安定と不安定が交錯している感じですが、非常に荒れた人もいれば
そうでない人も見かけました。

私の場合、父が荒れるという解釈は納得のいくところだったのですが自分自身は
安定していたため、この辺は大運の良さだと思います。
財はかなり流れましたがこれは想定内ですね。
男性から見ると偏財は女性(愛人)という意味もあり、さらに沐浴で荒れている
わけですから、ちょっと変なしかもお金のかかる女性に注意ということなんですが
今年新たに出会いのあった面々を見てもとても良い人ばかりだったので(今の所、
笑)これも大運による助けかと見ています。
むしろ財の恩恵にあずかった形で新しく出会った方がとても多かったです。

一部の空亡信者から見れば今年私は空亡にあたっているので最悪の年ということ
なんでしょうけど、これもここ数年で見てもいちばん安定していたので空亡論も
どうなのかなというところです。
ただあとひと月を残しているので結論を言うには時期尚早なんですが、よほど
大運が悲惨でない限り財星時期というのは十二運がどうこようがある程度の安定
が見込まれると見てよいでしょうね。

前にも言いましたように干支は60個、そして大運とのバリエーションを考えると
同じ年は二度と廻ってはきません。
ですからこの一年間の解釈、位置づけをこの時期になるとすごく吟味します。
それがこの時期の秘かな楽しみなんですよね。

皆様、2014年もお付き合いくださりありがとうございました。
良い新年をお迎えください。

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投稿者: miraikukan
先月が「昼顔」をモチーフにヨコシマな恋愛について語ったけれど、
今月はさらにとか思って「紙の月」を観てまいりました。
今度はヨコシマな恋愛プラス横領だからどんなことになるかと思っていましたが、
これどちらかというと人間あぶく銭を持ったら何をするかわからないみたいに
なっていた感はありましたね。
しかも恋愛的に見ても既婚者が二十歳そこそこの若僧に入れ込むなんて
ちょっと痛い話。 あれはあれでおもしろかったけれど、、
「昼顔」の上流階級の妻である一方で売春をするというコントラストの効いた設定
の方が私は衝撃を受けました。 妙にリアルでした。

最近つくづく思いますが、人間生きていくことは本当に大変ですよね。
生きていくことって人間を理解するためのさまざまな試練のような気がします。
結局のところ人間を解せない人ってどこにいっても何をしてても苦労をする。
人間を理解する上で手っ取り早い修行が家庭を持つことかもしれません。

映画に出ていた宮沢りえさんは少し老けたけれどいい女優になりましたよね。
ほぼ日の糸井重里さんとの対談で宮沢りえさんは、
「諦めるということは美しい」と言っていました。
これは自分を理解した人の発言だなと思いました。

私も割と若い時分から占術や精神世界に興味を持ってきて若年寄的で
どっちかというと悟るのは得意なほうだけど、まだまだ業が深いですから(苦笑)
ぼちぼちと理解していこうと思います。

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