コラム

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投稿者: miraikukan
皆さん、今日のこのテーマはいわゆる草食系や絶食系とやらのその手の話では
ありません。
ずばり食わない、本当に食べないという話であります。
秋山佳胤、森美智代、山田鷹夫この三人が不食の御三家だそうです。
ご存知の方いらっしゃるでしょうか。
森さんは一日に青汁一杯のみ、秋山さん山田さんに至っては基本飲食をしないという
奇跡的な話です。

ではどうやって生命を維持しているのかということなんですが、秋山さん曰く、
大気中に存在するプラーナを食べているとのこと。
プラーナとはインド医学などで使われる言葉で「気」みたいなものなんですが、
これは中国医学でいうところの「五行」と同じようなものです。
五行を駆使する私などもさすがに食べるという発想には至らなかったのですが、
これは感覚としてわからなくもないんです。

例えば不摂生をしているからといって必ずしも大病になるわけではありません。
もちろん要素としてはあるでしょうが決定打は五行だったりする。
水が大過したり水局したりすれば腹に水が溜まったり、そういう現象は起こり
得ます。 あるいは血液に問題が起きたり。
これは普通の感覚では説明がつかない問題です。

秋山さんはこのプラーナをエネルギフードと呼んでいますが、毒素がなくきわめて
純度が高いものとおっしゃっています。
山田さんも同じようなことを言われており、内蔵は使うと疲れてしまうから自分は
皮膚からエネルギーを吸収しているという。
森さんも体は進化すればタンパク質をつくる仕組みまで変わると言っています。
そしてこの御三方から感じられるのは、人は食べ物を食べなければ生きていけない、
エネルギーは有限だという考えに囚われていないということです。
即物的なことよりもっと気(エネルギー)を意識しろと言わんばかりです。
実は私も同じような立場で日ごろ発言してるんですよね。
占いを信用しますか信用しないですかではなくて、端的にいうと気を意識しろと
いうことなんです。

古い人ですが観相学の先生で水野南北という人がおりますが、この人は小食開運法
というのを唱えていらっしゃったくらいだから、食と運気というのはとても関係が
深いようです。
とはいえ食わずにいけるかと言われると、この私唯一の趣味が美食ですからね、
今後の生き方をちょっと考えてみます(笑)

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投稿者: miraikukan
皆さんここ最近の熱波をいかに無事に過ごされていますか?
暑さが続いたせいか、せっかくコラムでお伝えしたいアイデアが浮かんで
いたのですがすっかりと忘れて抜け落ちてしまいました(笑)
仕方がないので毎日考えていること、即ち四柱推命の事を今日は書こうと思います。

特に目新しいことはなく今までも書いてきたことなんですけど、四柱推命学は
どうしても宿命論として嫌がる方がいらっしゃいます。
こういう方の特徴というのは、一にただ勉強不足という身も蓋もない側面もあります
が(笑)、他に向上心が強い、いや強すぎる方が多いように思うのです。
それは煩悩が強いと言った方がいいのかもしれませんが…
とかく物(質)や心(愛情)を求めたがる人という印象はあります。
そしてその結果、開運至上主義になっていくのです。
どうすれば開運するのかに躍起になる(笑)

求めたがりの人というのは求めたがらない人の気持ちには疎く、
求めたがらない人というのは求める気持ちはわかるが自分は求めない。
どちらかというと四柱推命は後者の学問です。
自分を客観的に判断して(人と比べるのではなく)、本当に自分には何が必要か、
自分の世界はいかほどかを追求していく学問なのです。
ですからこれが宿命だろうが何も問題はないわけです。
他人と比べるから宿命ってどうよとなるんですね。
自分のあるべき世界を追求して、自然と調和していく考えでもって、自然との接点を
見つけて居心地のよい自分なりの世界を築き上げることが何よりの目標なのです。

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投稿者: miraikukan
四柱推命学の十二運に「死」というのがありますが、だいたい素人の方は
この言葉にギョッとなってしまいますね。
自分の四柱に死があったら早死になんでしょうかってよく聞かれますからね。
確かに「死」は死神と捉えられる場合もありますが、大概は動きが滞るという
意味であり、むしろ死自体は墓に入るという意味から次の「墓」の方で説明
されることが多いのです。

それはともかく、今「絶歌」出版であの忌まわしい事件が再び話題となっています。
これは1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の加害者少年Aが書下ろした
手記です。
この事件は加害者が当時14歳であったこと、そしてあまりに特異な殺傷事件で
あったこと。
それらを含めて我々占術の業界の方、スピリチュアルな業界の方、医学方面の
方々もこの書籍の内容には注目されたと思います。
私としてはタイトルに墓の次にくる「絶」を持ってきたことが何とも不吉な感じを
抱かずにはいられませんでしたが・・・

これは私も特殊な立場として読ませてもらいました。
高い文章能力と優れた洞察力もある。
手記にもあるように「死」を自らの手で手繰り寄せたのに、なぜ人を殺しては
いけないのか?の問いにはきちんと答えられていない。
私も考えました。 なぜ人を殺してはいけないのか?
そこにごたくを並べる必要は全くありません。
答えはシンプルで単純です。
それをされたらどう思うの?です。
人殺しを認めるということは自分が殺されることも容認するということです。
ではなぜゴキブリを踏み潰したからといって死刑にならないかは、それがゴキブリ
だからです。 ゴキブリは人を殺せませんからね。
人間は人間を脅かす存在なのです。
だから殺してはいけない。
でもこういうことをきちんと言葉にして伝えていかなくてはいけない時代が来たと、
そう解釈しています。

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投稿者: miraikukan
久々に軽い話題でいきましょう。
二年ぶりくらいか上京する機会があったので、夜はビルボードライブ東京に
行ってきました。
ここは飲みながら食べながらライブが観れる場所です。
調子に乗ってコース料理も頼んでしまいお会計時はなかなかのものでした(汗)
でもたまにはいいでしょう(笑)
お目当てのライブショーは27年ぶり二度目の来日のジョンハイアットです。
日本ではまぁ知る人ぞ知る存在ですね。
貴重なライブを楽しみました。

私はここで趣味の話はあまりしないのですが、音楽の他には大の相撲ファン
ですのでね。
7月は名古屋場所があるので多分一回は行けるようにスケジュールを組む
つもりです❢❢

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投稿者: miraikukan
私が生まれ変わりと言うと皆さんは自分は誰の生まれ変わりなんだろうと想像する
かもしれませんが、今回はその意味ではありません。
生きながらにして生まれ変わらなければいけない時もあるという意味です。
言い換えると挫折した後に再生すると言ったほうがいいかもしれません。

わかりやすい例えで言うと、恋愛で相当キツい思いをしたことがある人はもうこりごり
だよ、もう恋愛に期待は持てないと斜に構えてしまいますね。
逆に何だかんだあっても相手と結ばれて家族なんか持ったりすると、恋愛や結婚に
肯定的なことを言ったりします。
当たり前と言えば当たり前ですけど、挫折だけなら誰しもあると思うんです。
そこに理不尽さが加わると物事は死んでしまいますよ。
そうなると立て直さないといけない。 生まれ変わるしかない。

心理学の話で、思春期に反抗期がない、異性に興味がない人というのは死に向かう、
つまり生殖の方向に行くのではなく同性愛傾向を示したり、殺人願望(自分あるいは
他者に対して)が出たりするという解釈を聞いたことがあります。
そこには彼ら彼女らがその時期に挫折+理不尽な憂き目にあったと思われるのです。

なんにせよ死んでしまったら生まれ変わるしかない。
再生することに価値があると思います。
これを高木乗先生流に言うと「剋用の妙」ということになるでしょう。
剋されて発展するという意味です。 剋とは五行上のつぶし合いです。
本来は相生の方がいいんですよ、剋は挫折・葛藤を表しますから。
だから目標は変わらないまま、真っ直ぐ苦労するに越したことはないです。

でもね、いい年して何事もポジティブシンキングでいつまでも若いお姉ちゃんを
追っかけている人を見て、その人は多分生まれ変わってないんだろうね~と
つぶやいた友人がいました(笑)
何が深い、面白い、充実しているととるか最終的にはその人の感性だと思います❢❢

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