コラム

カテゴリー: 総合 on コラム
投稿者: miraikukan
皆さんは師匠と呼べる人をお持ちでしょうか?
俗に言う恩師とも微妙に違う存在であります。
自分が小学生の時の先生も恩師になるわけだから、恩師はある意味誰にでもいます。
どちらかというと、こちらは受け身です。

ところが、師匠と弟子の関係は双方ともに築き合う関係ですね。
両者ともに選ぶ権利がある。
自分がこの人を師匠と思えば師匠になるし、師匠は弟子を弟子と認めて始めて
弟子となるわけです。
もっとも師匠を誰しも持てるわけではないですし、また持たなければならない
こともないのですが、師匠を持つということは、その後の人生が決定的に影響を
受けるということでもあります。

それは、その師匠から何か専門的な知識や技を身に付けるというだけではなく、
生き方、またその生き様や所作等も影響を受けることになります。
そこまでの影響力がありますから、弟子で何ら影響を受けてない人があると
すれば、師匠を完全に超えちゃっているか弟子とは名ばかりのただの生徒さん
ということになります。

でもやっぱり弟子も師匠がいてはじめてなれるわけですから、師匠というのは
大切ですよね。
どういう師匠と出会うのか、また誰を師匠に選ぶのか、これこそ運命の根幹
というか、その人の資質・才能にかかっていると言っても過言ではない気が
します。

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投稿者: miraikukan
皆様、ご無沙汰しております。 久しぶりの更新になります。
このブログを毎月読んでくださる方も見えますので、その方々に何よりも
ご心配をおかけしてすみませんでした。
私の方は相変わらず元気でやっております。 むしろ最近は精力的に活動して
おります。

近況を報告しますと、この度 『談教室』 として正式に五行推命学研究会に
認可された次第です。
以前から教室なるものは開いておりましたが、私自身長い間、名古屋教室沙羅衣
で勉強してきたこともありまして、名古屋教室傘下的な立場で教えてまいりました。
今年は私にとって官星が巡る年ですので、区切りを付ける年に入るなと思って
おりましたから、今回談教室として独立した立場を取らせていただきました。

予定通り談教室としてリスタートしていきますので、皆様今後ともよろしく
お願い致します。

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投稿者: miraikukan
これは前にも一度書いたことなのですが、運命はどの程度どの割合で
決まっているかという問題です。

運命はすでに決まっているの?

この問いかけには私はNOという意見です。
これもよく言う言葉に、

自分で自分の運命を切り開いていくのか?

これにも私は微妙にNO寄りの意見です。
切り開くの部分を選択していくに変えればそうかなぁと思えなくないですが、
自分でかと言われたら「自分で」の中に最初の環境とそもそも自分という個人が
その能力も含めて最初に有無を言わさず決定されているから、完全に自分だけの
力で選択してるわけじゃない。

そしてもう一つ、親を選べないか?

これはYESです。
ここでまた、本当は親を選んでそこに生まれてきているのです的なことを
ささやかれる方々がいるけどもそれは無視。
いいですか、我々の立場を明確にしておかないと宗教的な話になったり、
霊障的な事柄に結び付けたりと、とてもややこしくなる。

よって私の立場は、生まれてから死ぬまでの間と断じます。
それ以外は違う領域となりますからね。
運命学は生きている間のみ、その間の中で原因を探り、検証する。
それにつきると思います。

結局のところ運命を決定している要素は、最初の環境を決定している先天運と
その後の選択に左右される後天運の二つです。
これを私は先天運は自動的、後天運は手動的と解釈しています。
どちらかに偏った意見でも運命は成り立たないと思います。
最初に乗る与えられた乗り物は車なのか自転車なのか飛行機なのかはすでに
決まっている。
それを操縦するのはまぎれもなく自分。 どれが便利かってね。
そこを一生懸命考えなくちゃだめなんですよね。

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投稿者: miraikukan
占い師になるとかいうと畳の上では死ねないとか、世間の風当たりがきついよとか
なんか変な生霊がつくんじゃないかとかよく言われるんですが、
なにがなにが一番の問題は身内からの批判ですよ。
実際占い師には変人が多いのは周知の通りですが、そういう偏見なども手伝って
身内からはえらいものに手を出したみたいに思われるわけです。

流派は違いますけど、あの阿部泰山先生なんかも身内からは相当に疎んじられていた
らしいですから。 エリートの家系だったから悲惨だったらしいですよ。
結局のところどこにいても占い師としてまっとうに生きていくことはけっこう
難しかったりするんですね。
だから商売っ気の強い人でちょっと頭の回る人だと、そういう世間の評価を逆手に
取って奇妙奇天烈な方向性で売っていくんです。
多少めちゃくちゃだろうがそのほうが人目に付くしシンパを獲得しやすいんです。
ヒトラーの演説が意味不明だったのと同じ構図です。
もっとも、そういう人は占い師というか占いタレントなわけですが・・・
一方でガチンコが強く(実力があり)、超人的な変人占い師も確実に存在します。

一般的に見ればどんな占い師だろうが霊媒師だろうがいっしょでしょうからね。
この前もカラーセラピーをやっている人のことを占い師さんと言っている人が
いましたけど世間はそんなもんです。
まぁ何を言われようが身内から疎んじられようがブレたら終わり。
そう思ってやっています(笑)

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投稿者: miraikukan
自分のコンプレックスってわけでもないですけど、自分のことを「占い師」って
自己紹介するのは今でもためらいがあります。
というかできるだけ言いたくない(笑)
それは単に占い師のイメージというのが自分の中では悪すぎるからです(笑)
実際にも怪しさとか胡散臭さとか魅了させられる部分もなくはないけど、微妙に上から
目線なのとナルシスティックさに吐き気がする部分もある(自分のことは棚に上げて)。

そんな私がなぜ四柱推命だけには一目置くかというと、それは安田式五行推命に
出会ったからにほかなりません。
創始者の安田靖先生も存命の時から「四柱推命だけ信じて他の易は信じねぇ」と
言い切っていたくらいですから。
そして安田先生の愛弟子である中島学氏に私は入門することになるのですが、また
中島先生も大の占い嫌いで有名。
最初入った当日に「私は占い師と呼ばれることがとても不愉快だ」と先制攻撃をし、
その後三日間に渡っていかに占いが嫌いかを語っていましたので、実際それで
辞めちゃった人もいましたからね(笑)
ああいうのを聞かされたら占い好きで入った人は辞めちゃいますよ(笑)

僕なんかは逆にそれが性に合っていたのか、こんな占い嫌いな先生が四柱推命(五行
推命)だけは一目置くのであれば信用できるかもしれないなと思ったのが最初であり
今日までずっと続いている気持ちであります。
だから私なんかお客さんまでもが、どちらかというと占いはあんまりという人が
集まりやすく、別府先生のは特別だからって寄ってきてくれるから、そういう動機は
なんともありがたいです。 類は類を呼ぶですねやはり。

少し例えは悪いですが皆さんこう考えたらいかがでしょうか。
女好きな男、女嫌いな男、或いは男好きな女、男嫌いな女、
どちらのタイプから好かれるほうが信用できるでしょうか。
これ少しは当てはまるとおもいますよ(笑)

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