ついこの前、とある土曜日の午後にいつもの彼からメールが入り、
「久しぶりにお茶でもどうか」と。
その日の午後といえば危険な時間帯である。
瞬時にこれは不味い知らせに違いないと確信した。
なぜ確信したかといえば、その彼とは私と生年月日がまったく同じなのです。
出生時刻に一時間半のズレはあるものの、いろんな点でかなり酷似している。
違う点があるとすれば彼には息子さんが一人いて私にはいないくらいで・・・。
その他の人間関係でのしがらみ、その時々での状況と行動の動機に至る点等々が
びっくりするほどタイミングが同じなんです。

だから私の調子を見れば彼の置かれている状況を計り知ることができ、また彼も
私を通じて自分の状況を確認したがっているのです。
そのような意味を持つお誘いだから断る理由は何一つなくただちに時間を作って
Yesの返事を彼に送る。
そして当日、テンションの低かった私の前にマスク姿の重い足どりで現れた彼の姿は
その日の私にとってはやる気十分だったのです(苦笑)

そして開口一番、私は彼に「最近キツくないか?」、「キツいね」、と
すべてわかりきっているような口調で話を進めていった。
ここ最近の想定外の難題続きで頭を抱えていた私に、彼の話を聞くことで一つずつ
頭の中を整理していった。
思うにトラブルというものは内容自体にさほど意味はなく、往々にして人を介し発生するもの
だから当然人と人との間に間ができる。
間が悪いという表現もあるけれど、むしろ間の中に魔が入り込むといったほうが適切だと
感じる。
この魔が内容そのものをデフォルメさせ、時には悪意を生むのである。
そこへ利害関係なども含むとなればなおさら厄介である。

この魔というものは、その人の遺伝子レベルとでもいうか、先祖の因果においてのレベル、
私は宗教的な言い回しは好きではないが、そういう人の心の奥の果ての向こう側から
ささやいてくる、とても口でつかむことも手に取ることもできないものだと感じています。
だからこそトラブル=魔そのものが宿命なのであり、個人個人に課せられた宿題のように
感じるのです。
天からなのか過去からなのか、ちゃめっ気たっぷりの、いや、キツ過ぎるジョークとして
問題を投げかけてくるのです。
そのくらいのジョークを笑って受け流すくらいにならなければ
人生やってけないよとばかりに・・・。