よく言われる四柱推命の批判に、これは宿命論だとか優劣を決めつけるものだとか、
同業者でもこのようなことを言う人がいます。
つまり、これでは開運できないじゃないか、開運できてこそ運命学ではないのか、
という指摘ですね。
確かに皆さんの目的は開運(私の場合運を乗り越えるという意味で捉えています)です。
しかしそこまでの過程における主義主張が全く異なるというのもこの業界の特徴だと思い
ます。

以下に述べますことは、私なりのこの問題に対する解答です。
以前お話した苫米地氏の話にかぶさるのですが、東洋の占術全般に言えることだと思い
ますが、前提として儒教の影響を受けています。
その四書の一つ「論語」からの影響は絶大です。
ですがここに問題点があり、いわゆる宿命的なニュアンスだとか人間には優劣があると
こちらに感じさせる(受けとらせる)絶妙な書かれかたがこの論語には施されています。
もちろん人を謙虚にさせる意図があってのことだと思いますが、おそらく受け手は
それだけでは収まらず人に優劣の意識を勝手に持たせ、もう一つの意図である人に対す
る忠誠心をも育む。
今もし孔子が生きていたら、何もそこまでのことは言ってないよと、うそぶくでしょうね。
孔子は決して断言はしていないのですから。
昔、ホストクラブを経営していた方にこんなことを言われたことがあります。
「あのね、女の人にはどう思われたって自由、けど断言してこう思わせるというのは
止めたほうがいいよ」
この言葉をすごく思い出します(笑)

話が逸れてしまいましたが、まとめますと私の理論はこうです。
四柱推命で見る人間の運命は、優劣にあるのではなく役割の差にある、ということです。
役割に差はあるが人はすべて平等だという視点で鑑定に臨むことで四柱推命を有効に
使うことができ、また開運の発想を生むだろうと思っています。
以上が私の見解です。

最後になりましたが、皆様今年も一年ありがとうございました。
引き続き来年もお付き合いの程よろしくお願い致します。
それでは皆様良いお年を!!