先日、NHKの番組で最新の不妊治療についてやっていました。
子宮にも老化があるから早めに適切な治療をすれば子供を持てる可能性も広がる。
ただ日本では欧米に比べて男女共にその認識度が低いなどのお話で、なかなか子供が
授からないご夫婦を取材して切実なメッセージを投げかけていたのですが・・・

それをたまたま私が妻と一緒に見ていましてね。
我々夫婦も子供がいないので、かといってそれをそれほど問題視しているわけではない
のですが、妻の立場でその番組をどう見ているのか、そこはちょっと気にはなっていたん
です。
そうしたら、彼女はこう言いました。
「子供が授かるって、それこそ運じゃないのかな」
ごもっとも、その通りです。さらに、
「気持ちはわかるけど、なぜ授からないとか、もう手遅れとかで日々悩んでいるというのは
時間の無駄だと思う。他にもやることはあるだろう」
さすが我妻よ。私も同感だったのです。
なぜなら、とりわけこの生死の問題というのは運だと思っていたからでした。

なぜ自分は生まれてきたのかを考えてみたところで、それは偶然でも必然でもなくて
運で生まれてきている。
そして、なるようになるというのが運だと思います。
決してこうならなければならないというのが運ではありません。
例えば「私って不幸だわ」と思ったとする。
でもそれは運命からはかけ離れた考え方で、その言外には、こうでなければならない
とか誰それは幸せそうなのにというのがベースに込められているわけです。

事の成り行きを必要以上に他人と比べたり、他者へ責任を転嫁してしまうと、自身の運を
見誤ることになりかねない。
大局的に見れば運は公平だと思います。
その中にパーツ、パーツで運がある。私も含めたいていの人はこのパーツの運の悪さを
嘆いているんですね。
でも本当は運は大局的に見たほうが良さそうです。
なるようになるための智慧が運命学にあるような気がしますね。