これは前にも一度書いたことなのですが、運命はどの程度どの割合で
決まっているかという問題です。

運命はすでに決まっているの?

この問いかけには私はNOという意見です。
これもよく言う言葉に、

自分で自分の運命を切り開いていくのか?

これにも私は微妙にNO寄りの意見です。
切り開くの部分を選択していくに変えればそうかなぁと思えなくないですが、
自分でかと言われたら「自分で」の中に最初の環境とそもそも自分という個人が
その能力も含めて最初に有無を言わさず決定されているから、完全に自分だけの
力で選択してるわけじゃない。

そしてもう一つ、親を選べないか?

これはYESです。
ここでまた、本当は親を選んでそこに生まれてきているのです的なことを
ささやかれる方々がいるけどもそれは無視。
いいですか、我々の立場を明確にしておかないと宗教的な話になったり、
霊障的な事柄に結び付けたりと、とてもややこしくなる。

よって私の立場は、生まれてから死ぬまでの間と断じます。
それ以外は違う領域となりますからね。
運命学は生きている間のみ、その間の中で原因を探り、検証する。
それにつきると思います。

結局のところ運命を決定している要素は、最初の環境を決定している先天運と
その後の選択に左右される後天運の二つです。
これを私は先天運は自動的、後天運は手動的と解釈しています。
どちらかに偏った意見でも運命は成り立たないと思います。
最初に乗る与えられた乗り物は車なのか自転車なのか飛行機なのかはすでに
決まっている。
それを操縦するのはまぎれもなく自分。 どれが便利かってね。
そこを一生懸命考えなくちゃだめなんですよね。