コラム

カテゴリー: 総合 on コラム
投稿者: miraikukan
皆様、ご無沙汰しております。 久しぶりの更新になります。
このブログを毎月読んでくださる方も見えますので、その方々に何よりも
ご心配をおかけしてすみませんでした。
私の方は相変わらず元気でやっております。 むしろ最近は精力的に活動して
おります。

近況を報告しますと、この度 『談教室』 として正式に五行推命学研究会に
認可された次第です。
以前から教室なるものは開いておりましたが、私自身長い間、名古屋教室沙羅衣
で勉強してきたこともありまして、名古屋教室傘下的な立場で教えてまいりました。
今年は私にとって官星が巡る年ですので、区切りを付ける年に入るなと思って
おりましたから、今回談教室として独立した立場を取らせていただきました。

予定通り談教室としてリスタートしていきますので、皆様今後ともよろしく
お願い致します。

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投稿者: miraikukan
これは前にも一度書いたことなのですが、運命はどの程度どの割合で
決まっているかという問題です。

運命はすでに決まっているの?

この問いかけには私はNOという意見です。
これもよく言う言葉に、

自分で自分の運命を切り開いていくのか?

これにも私は微妙にNO寄りの意見です。
切り開くの部分を選択していくに変えればそうかなぁと思えなくないですが、
自分でかと言われたら「自分で」の中に最初の環境とそもそも自分という個人が
その能力も含めて最初に有無を言わさず決定されているから、完全に自分だけの
力で選択してるわけじゃない。

そしてもう一つ、親を選べないか?

これはYESです。
ここでまた、本当は親を選んでそこに生まれてきているのです的なことを
ささやかれる方々がいるけどもそれは無視。
いいですか、我々の立場を明確にしておかないと宗教的な話になったり、
霊障的な事柄に結び付けたりと、とてもややこしくなる。

よって私の立場は、生まれてから死ぬまでの間と断じます。
それ以外は違う領域となりますからね。
運命学は生きている間のみ、その間の中で原因を探り、検証する。
それにつきると思います。

結局のところ運命を決定している要素は、最初の環境を決定している先天運と
その後の選択に左右される後天運の二つです。
これを私は先天運は自動的、後天運は手動的と解釈しています。
どちらかに偏った意見でも運命は成り立たないと思います。
最初に乗る与えられた乗り物は車なのか自転車なのか飛行機なのかはすでに
決まっている。
それを操縦するのはまぎれもなく自分。 どれが便利かってね。
そこを一生懸命考えなくちゃだめなんですよね。

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投稿者: miraikukan
占い師になるとかいうと畳の上では死ねないとか、世間の風当たりがきついよとか
なんか変な生霊がつくんじゃないかとかよく言われるんですが、
なにがなにが一番の問題は身内からの批判ですよ。
実際占い師には変人が多いのは周知の通りですが、そういう偏見なども手伝って
身内からはえらいものに手を出したみたいに思われるわけです。

流派は違いますけど、あの阿部泰山先生なんかも身内からは相当に疎んじられていた
らしいですから。 エリートの家系だったから悲惨だったらしいですよ。
結局のところどこにいても占い師としてまっとうに生きていくことはけっこう
難しかったりするんですね。
だから商売っ気の強い人でちょっと頭の回る人だと、そういう世間の評価を逆手に
取って奇妙奇天烈な方向性で売っていくんです。
多少めちゃくちゃだろうがそのほうが人目に付くしシンパを獲得しやすいんです。
ヒトラーの演説が意味不明だったのと同じ構図です。
もっとも、そういう人は占い師というか占いタレントなわけですが・・・
一方でガチンコが強く(実力があり)、超人的な変人占い師も確実に存在します。

一般的に見ればどんな占い師だろうが霊媒師だろうがいっしょでしょうからね。
この前もカラーセラピーをやっている人のことを占い師さんと言っている人が
いましたけど世間はそんなもんです。
まぁ何を言われようが身内から疎んじられようがブレたら終わり。
そう思ってやっています(笑)

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投稿者: miraikukan
自分のコンプレックスってわけでもないですけど、自分のことを「占い師」って
自己紹介するのは今でもためらいがあります。
というかできるだけ言いたくない(笑)
それは単に占い師のイメージというのが自分の中では悪すぎるからです(笑)
実際にも怪しさとか胡散臭さとか魅了させられる部分もなくはないけど、微妙に上から
目線なのとナルシスティックさに吐き気がする部分もある(自分のことは棚に上げて)。

そんな私がなぜ四柱推命だけには一目置くかというと、それは安田式五行推命に
出会ったからにほかなりません。
創始者の安田靖先生も存命の時から「四柱推命だけ信じて他の易は信じねぇ」と
言い切っていたくらいですから。
そして安田先生の愛弟子である中島学氏に私は入門することになるのですが、また
中島先生も大の占い嫌いで有名。
最初入った当日に「私は占い師と呼ばれることがとても不愉快だ」と先制攻撃をし、
その後三日間に渡っていかに占いが嫌いかを語っていましたので、実際それで
辞めちゃった人もいましたからね(笑)
ああいうのを聞かされたら占い好きで入った人は辞めちゃいますよ(笑)

僕なんかは逆にそれが性に合っていたのか、こんな占い嫌いな先生が四柱推命(五行
推命)だけは一目置くのであれば信用できるかもしれないなと思ったのが最初であり
今日までずっと続いている気持ちであります。
だから私なんかお客さんまでもが、どちらかというと占いはあんまりという人が
集まりやすく、別府先生のは特別だからって寄ってきてくれるから、そういう動機は
なんともありがたいです。 類は類を呼ぶですねやはり。

少し例えは悪いですが皆さんこう考えたらいかがでしょうか。
女好きな男、女嫌いな男、或いは男好きな女、男嫌いな女、
どちらのタイプから好かれるほうが信用できるでしょうか。
これ少しは当てはまるとおもいますよ(笑)

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投稿者: miraikukan
昨今あたりまえのように使用しているギブアンドテイクという言葉を
今更ながら検証してみようと思う。
一般的には何かを与えられたらそのお返しをするみたいに思われているだろうけど、
それってあらゆる人間関係において成り立つことなのか、と。
私の感覚で言うと、このギブアンドテイクを強調される人に限って家庭的に、
プライベートがうまくいってない方が多いように思えるのです。
外の世界ではやはりギブアンドテイクがある程度機能していないとバランスが悪く
なると思います。
ですが家庭内はどうか?
これはどうもギブアンドギブかなというのが私の結論です。

四柱推命学に六親という考え方がありますが、これは自分・両親・祖父祖母・
配偶者・子孫、この自分を含めた六人の親族のことです。
これが自分の中に入り込んでいるという考え方です。
ですから自分と自分以外しか存在しない。
この自分以外の外の人間に対してはギブアンドテイクは有効なんですよ。
ですが六親には、自分が自分に対してテイクを求めるのはおかしいとなるわけです。

これには大学教授でコラムニストでもある内田樹さんが夫婦についてこう語って
います。
「自分の投資に対して相手から等価のリターンを求めると夫婦は潰れる。
 営業マンに彼の努力で成約した取引から得られた利益の全額を要求することを
 許せば会社が潰れるのと同じ原理である」
内田さんは人間社会の本質に触れて語っていると思いますが、正にその通りだと
思うのです。
仕事にしろ家庭にしろ一定の距離感が必要なのです。
その要がギブアンドギブの精神❢❢
ギブアンドテイクで許されるのは気心の知れた親友くらいじゃないでしょうかね。

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