コラム

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投稿者: miraikukan
みなさんは、この”奴隷契約書”なるものの存在自体をご存知だろうか?
これはその名の如く、主と奴隷に交わされる契約書のことです。
つまりSM愛好者が、主と奴隷との主従関係を明確にさせるための契約・・・

今回のテーマはまた何ですか・・・と言われそうだが、今回は恋愛の一歩も二歩も先にある
SMの世界について書こうと思います。
最初に断わっておきますが、私自身はSM愛好者でもなければSM云々について語るだけの
何を持ち合わせてるわけでもないです。
これは私の見聞きしたもの、体験、主観の中で感じたことを書いていきますが、
私は敢えてSMは恋愛の先にあるものと言っておきたかったというのがあります。
たいがいはSMと言うと、そんな痛いことはゴメンだね・・・って声が聞こえてきそうですが、
そんな事は普通の初めての性体験での粗相やなんかと同程度の話なんです。

そもそもSMの世界は健全な世界に対するアンチテーゼとして成り立っているところにあると思います。
そしていちばん重要なことは、健全さというのは異常さを作り上げることによってはじめて健全さが得られるということ。
本当の健全さなどもともとはない。
痛みが快楽なのか、快楽が痛みなのか、健康的なセックスなどそもそも存在しない。
だからこの世界、甘い言葉は何ひとつ使えないのです。
彼氏、彼女ではなく主と奴隷・・・ギブアンドテークではなく支配と服従・・・
でもそこにあるのは、ある意味でストイックなまでの恋愛至上主義であると言えなくもない。
一日24時間365日、主に心も肉体も人権をも奉げてしまうこの関係は狂おしいほどに
実は恋愛に没頭しているのである。

先日も主と奴隷契約を果たした女性とたまたまお会いすることができ、いろいろ話を交わすうちに
余計にその思いを強くしたのでした。
彼女が言っていた印象的なフレーズに、”主だってここぞという時にはキスしてくれるのよ”・・・
この言葉がすべてを物語っているような気がした。
そして彼女は私の印象をこうも語ってくれた、”あなたは性癖云々ではなく信念が強い人ですね”
こう言われて妙に納得してしまったのですが(笑)
さて私は誰と何の契約を果たせばよいのだろうか?今すぐ答えを出せそうにない(苦笑)
というか出さなくてもいいんだけど・・・(汗)

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投稿者: miraikukan
今回はまた壮大なテーマに取り組もうとしてるわけですが、一夜漬けで書けるわけもなく、
このテーマを打ち込んでからちょっと後悔しました。
難しいなぁ・・・

それでも少しばかり考えて、、まず男にあって女にないもの、、それを突き詰めると
それは‘‘情けなさ’’ではないかと思うのです。
種の保存・維持の問題は別にしても、男が女を口説くとき、それはとても情けないもんです。
男もそれがわかっているから一生懸命格好をつけるんですが、またそれが情けない。
そして、ボロ雑巾みたいになったところで、また前に進まなければいけないのも男の方であり、
それでも前に進むというのが格好いい男なんでしょう。
その辺をやさしく見守ってくれる女というのは本当に心のやさしい持主であると思います。

そういえば昔、松本人志さんが‘‘女のコメディアンは成功しない、最後には笑ってもらえない’’
みたいなことを言っていて、これも結局極論として男も女も素っ裸にしたとき、笑われるのは
男の方であるということなんでしょうかね。
それとは逆にこの前のシュールレアリスム展の時などは、女をモチーフにした作品が多い。
マン・レイの「祈り」という女性のお尻のポートレイトや作者が誰だったか忘れましたが「女」という
巨大なブロンズ像の作品なんかがあって、そのどれもが圧倒的な強度でもって描かれており、
芸術に転化すると女は強いものなんですよ、やっぱり。

そう、まとめると
男は最終的に裸になることで御破算、女はいつまでもチラリズムでいてほしいってことです!!
何のことか・・・

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投稿者: miraikukan
久々に東京に行く機会があったので、今日はその時のことについて書きます。

・・・まず最初に品川の駅に降りたとき思ったことは、「くらっ(暗)」でした。
そしてありとあらゆるところで節電、節電・・・新宿の地下街とかも暗いので人は多いというのにどこか閑散とした印象でした。
やはり名古屋とは違い震災の影響が色濃く残る東京・・・
そんな状況を目の当たりにして、その日の夜は高田馬場AREAで私の最もお気に入りのバンド、
The Monochrome Set を観る・・・多分もう観られるのは最後だと思うとよりいっそう見入るのでした。
そして帰り道、生ビールをひっかけてホテルに到着するもすべてがまるで夢のよう・・・

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・・・翌日は国立新美術館にてシュルレアリスム展を観覧しました。
”きれいごとなんてくそくらえだ”と言わんばかりの作品群に圧倒されましたね。
最後に昨年も行った新宿伊勢丹にあるチャヤ マクロビティックスで有機三年番茶を購入・・・
これがめちゃくちゃ美味しいのです。
貴重なものを見れた上に貴重なものも買い物ができて充実した二日間だったのですが、
何度も言うように何日か経つとあれは夢だったのかと思うくらいです。

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投稿者: miraikukan
東北関東大地震のあまりにの惨劇に言葉も失ってしまうほどですが・・・
ひとまず、前回の続きをまとめてみたいと思います。

私が占術をやってきて思うことは、これ(占術)は人類の叡智のたまものであるなと、
本当にそう思います。
そして結局はそれを扱う者、つまり占い師の人間としての度量というものも同時に問われるものだという
ことも痛感することになります。
もう少し平たく言えば、占いと鑑定は分けて考えたほうがいいということです。

占いそのものは実際当たらなければ意味はない、当たりさえすればあとはどうでもよろしい的な部分もなくはない。
つまり占いは技術を問われるということです。良くも悪くもそれしかないんです。
それに対して鑑定はどうか?
占いのもう一歩先にあるもの・・・占いで得た結果をもう一度ふるいにかける作業という気がします。
世間の常識を疑い、占い結果をも疑う(少なくとも私はそうしている)、
その上で新たなオリジナルな仮説を立てていく・・・

とくに私なんかは連絡先など自分をすべて明かしてやっていると、その鑑定の部分を
おろそかにすることはできないですね。
相談者に対して逃げられないですから。
やはり相談者をすべてにおいて納得させるには、占い結果プラス理屈、感情においても納得させなければいけない。
そのために私自身、別に明かさなくてもいい事まで明かしてね、何やってんだろうなという時もありますけど(笑)
良くも悪くも、鑑定とはそうあるべきだろうと考えています。

最後に今回被災に遭われ、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

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投稿者: miraikukan
人は道に迷ったとき、何を拠り所として問題を解決していくのか・・・

それはその問題により人によりさまざまだと思うのですが、内容が明確であれば
専門機関に訪ね歩くこともあると思います。これが一般的であるのかな・・・
けれどそれをも漠然としている場合、まずは友人に相談してみるのか、それか一丁人生占ってみるか
という選択もあるわけです。

私は結論を言えば、占いのほうがある意味現実的、物事を直視していると思うのです(断言)。
おそらく自分自身で考えていることや、友人との相談のほうが夢見がちになってしまうと思います(間違えない)。
よく言われることが、とくに占い否定派の人たちからは、自分の運命は自分で切り開くもんだ的なこと
言われるわけです。
でもね、私の立場から言わせてもらえば、運を自分から切り開いていっているのではない(これも断言)、
運は勝手に向こうから転がってくる。
そして、転がってきたものに対してどう処理していくかがその人のその後の人生に大きく左右する。
うまくやれれば、それはその人が転がってきた運をうまく切り開いたことになると思う(いいねぇ)。

占術を学ぶことはその運の転がりを事前に察知する、察知して対処の仕方を考える、
つまり、占術に触れた時点で運を自分から切り開きにかかっているとも言えるのです。
だから占いは現実的であると私は言いたい!!
だけどここに占いと鑑定は違うということも書き添えなければいけないと思っています。
その辺はまた次回に、早めにコラムアップします。

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